小さな幸せに気付けないのは不幸なのか
今日はXデーとでも言おうか
いや、1人の日本国民として
”おめでたい日”であると思う
ご本人たちのことはさておき
”私にはこの人が必要である。今後生きていくうえで”
と思えるほど一緒に居たい相手がいるって
どんな心境なんでしょうか
私の場合は、誰かに反対されることもなく
誰に勧められるでもなく
自分が選んだわけで
割とすんなり結婚した。
結婚式もして綺麗なドレスも着た
いわゆる祝福された結婚だったと思う
しかしその当時の私は
”この人といることは今後の人生において必要な選択である”
と、でもそれほど強い気持ちはあっただろうか。
たぶんあったけど
もう日々の生活に追われて忘れてしまった
というか新婚初期が大変すぎて
「は~幸せだわ!私!!」
なんて思ったことがあまりない。
「結婚っていいよ~!!」
と既婚者の友達が言っていて
私はとてもじゃないけど
そんな言葉、嘘でも言えない
「結婚は大変だよ。。人生の墓場っていうじゃない?
まあ少しの幸せはあるから一緒にいるけど」
といった方が嘘がなく私の本音である
でもある意味、この言葉には希望がなくて
これから結婚する方に前向きなメッセージを言ってあげられない
目の前に現れてはいけないレベルでの人間である
もちろんおめでたいことなので祝福はする。
幸せになってほしい
普通が一番とかいうけど普通とは・・・?
小さいな幸せに気付けないのは不幸なのだろうか
そんなことはないと思う。
もっと気付けたらハッピーだけれど。
人間とは欲深い生き物で
きっと満足なんかしないものだと私は思っている
(←野心家か。)
上見ても下見てきりがない無し
隣の芝は青い
いつだってそうなんだ。
何年たってもきっとそうだ
今日もてくてく歩きます
読んでくださりありがとうございます